制作を“仕事として割り切る”はどうすればできるか?

仕事

自分はWeb制作やチラシ、名刺などのグラフィックデザインやロゴデザインを仕事としている。

先日、知人とLINEのやりとりをしていて「制作物には元ネタがあるんだけど、自分がやっているのは“デザイン”ではなく“コピー”なんじゃないかとモヤモヤすることがる。」というと、「仕事として割り切ればいいんじゃない?」と返された。

そう返してきた知人も実は割り切れていないというオチが会話の終わりについたのだが、それからもモヤモヤは残ったままだ。

この“モヤモヤ”は自分のどういう感情の表れなのか?

「“デザイン”ではなく“コピー”なんじゃないか」は「“オリジナル”ではなく”コピー”なんじゃないか」と言い換えられる。
要は、自分が考え出したわけではなく、誰かの考えたアイデアを流用しているのではないか?という疑問だ。

この言葉では「オリジナル」が優位で「コピー」が劣っているという認識を表している。
しかし、誰かが作ったものに純粋なオリジナルなものなどあるのか?と思う。

どんな優れたデザインも、それを作った人がデザインを始めてからマネしたものや作ってきた過去作の影響があることは否定できない。

また、誰かのデザインに感動して、「自分も作ってみたい」と思ったことがその人がデザインをするきっかけになることもあるだろう。すると、自分を感動させた制作物の影響も受けていると言える。

誰かが誰かの作ったものに影響されて、影響を受けた何かを作る。
こういった流れがずっと続いているのではないかと思う。
特にインターネットが世界中に行き渡っていて、世界中の作品を目にすることができる状況を考えると、影響を受けずにいられない。

そう考えると、誰かの作った何かを参考にして影響を多大に受けた、自分では“コピー”だと感じている制作物もおかしなものではないと言えるのかもしれない。

ただ、あからさまに“ほぼそのまま”のパクリだと批判されることを考えると、影響を受けて制作物に反映させることも、程度の問題と言える。

以上を考えると、誰かの作った作品の要素を分解して、一部を自分の制作物に活かす、というやり方だと問題ないのかなと思う。
パクリが批判されるのは、元ネタをそのままアレンジなしで流用して自分のものとする行為が批判されているのだろう。

制作物におけるオリジナル、コピー、パクリに関しては整理がついた。
少しスッキリした。“少し”。

なぜ“少し”なのか?
何かがまだ考えきれていないような気がするのだ。
まだ考えただけでは割り切れないことなのかもしれない。